居住空間を充実させると生活の質が上がるかと言えば、違うと感じた話。
(Nikon D600 / SIGMA F1.4 DG HSM / 実家近くの公園にて。)
2つ前の記事で、引っ越しを考えているということで、そのベストな手順を考えていたのだが、いろいろ考えているうちに、そもそも居住空間が充実していることで、生活の質は上がるのかという点に疑問を感じるようになった。
というのも私は、自分を律する意思がとても弱いことを自覚している。
勉強する際も、図書館やカフェに行かないと、ついついPCを開きYoutubeの関連動画をたどるなどして時間を浪費する癖がある。
そしてこの悪しき習慣をやめようと思っても結局は何度も同じことを繰り返してきた。
このことから考えたのは、高い家賃を出し設備の良い部屋に住み、居住空間にこだわって居心地の良いものにするのではなく、
寝食といった必要最低限のことだけできればよいと割り切って、意識的に部屋での滞在時間を少なくするよう心がけることで、有効な時間の利用が促され、生活の質があがるのではないかということだ。
部屋にものを買い増やさないことを心がけることで、お金が浮き、そのお金を外で利用することもできるのである。
生活の質は人によって捉え方がちがうと思うが、私にとっては後悔のない時間の使い方をして生活できていることが生活の質が高いと考える。
例えば先に述べたように、家でダラダラするのでなく、カフェに出かけ本を読んだり、勉強をしたりする方が後悔のない時間の使い方で、気持ちのいい時間の使い方だと思っている。
以前読んだノルウェーのメンタルトレーナーの本によると、一流とそうでない人との差は、ほんのわずかな時間の使い方の積み重ねによるということだ。
そしてその積み重ねが、長い期間でみると一流とそうでない人を分ける巨大な差になるという。
そして1万時間の法則というものがあり、人は1万時間鍛錬を積み重ねることで、その道のプロフェッショナルになれるそうだ。これはスポーツ選手、音楽家、経営者など職を問わない。
音楽室に肖像画がかけられているような音楽家も、オリンピックで金メダルを取るような選手も、莫大な富を生み出すグローバル企業の経営者も、一見その道の卓越した才能を生まれながらにして持っていたように見えるが、こうした日々の鍛錬の積み重ねが単純に他の人よりも上回っているだけだというのである。
普段の生活を思い返してみても、家に戻ると何となくしてしまう無目的なネットサーフィン、朝起きてからだらだら30分布団から出てこれないなど、価値を生まない時間は至る所にある。
こうした時間を自分が納得できる有効な時間の使い方に変更することで、より生活の質が上がっていき、自分が目指す道において成功に近づいて行けるのではないかと思っている。
いろいろ書いたが、これが私が一人暮らしの部屋探しを行うにあたり至った考えである。
特に私と同じく、自分の意志の弱さを自覚している人は、ミニマリストになって、居住空間をなるべく簡素なものとし、部屋での滞在時間を意識的に少なくすることで、生活の質が上がるかもしれない。